左の写真を見て欲しい。これは、養老町教育委員会のホームページより取り出したもので「昭和30年頃の多芸小学校の学芸会」を撮ったものと紹介されている。
私は、多芸小学校昭和31年度の卒業だが、当時は、もちろん体育館や集会室のようなものはなく、卒業式や始業式等の式典、学芸会や映画会等の全校の児童が集合する時には、2つの教室のマジ切り(板戸で教室がマジ切りされていた)を外して、そこに会場をつくって、実施していた。
今なら、考えられないことだが、学芸会の時は、写真のように「児童の机をいくつか並べ、その上に、教壇を置き、ある程度のスペースを確保」して、演技を行っていた。(今、改めて写真を眺めると、安全性でかなり問題がある・・)
舞台の背景幕に注目して欲しい。小学生の時は、全く意識しなかったが、大正時代に作られたと思える「三種の神器をモチーフにした多芸小学校の校章」が織り込まれた幕をそのまま使っている。物がまだ、豊富でなかったころなので、古い幕をつかっていたと考えられるが、もし校章のデザインが変わっていたら、この幕は使わなかったのではないか。そう考えると、戦後の昭和30年代でも、この校章が多芸小学校の校章であったことを示す貴重な、写真と考えるが・・・・。
改めて、下に、「多芸国民学校の校旗」の写真を掲載する。
上の学芸会の写真の背景幕の校章と比べて欲しい。確かに同一のデザインである。